――鼻が喜ぶ……なんてこと、あるんだな。


Blue soap bubbles


 ジャンからは日向の匂いがすると思う。 まるで無邪気に外で遊ぶ子供のような、ピクニックにでも行ってきたかのような、そんな日向の匂い。 コーサ・ノストラたる男からする香りではないと思うが、ジャンらしいといえばその通りだ。 あの金髪も、それこそ太陽のようだと思うほど眩しいと感じることもある。 性格ですら太陽のように明るいときたら、アイツはもう『アポロン』なのではないかと、そんなくだらないことを考えたりする。
 その香りを、俺の香りで染め上げた時の喜びを味わうために今、こうして香水専門の店に来ていたりする。 まぁ、「俺の香りに」というのは冗談だが、ジャンの香水を選びに来ているのは本当だ。 ところが、ジャンに似合う「大人の香り」を選ぶのに苦労している。 どの香りを嗅いでもどうにもジャンに合う気がしない。 日向の匂いを、真逆の月光の匂いに染めるのは難しいことだと思い始めた。 だが、それでもどうしても探し出さねばならない。 アイツがたまに纏うカポの姿に似合う香水。 頭の堅い顧問たちをも魅了させるような香水を、俺は選ばねばならない。
 そのついでに、俺がアイツに纏ってほしい香水を選ぶくらいの自由はあるだろう。
「いっそ、オーダーメイドにするか」
 そう考え始めていた。職人に任せてイメージに合う香水を作ることも可能だ。 だがそれだと、多少キツイ香りになりがちだがそこは専門職に注文をつけて手直しさせればいい。
「随分と、お悩みのようでございますね」
 顔馴染みの老店主にも心配されてしまう。 女達への土産ではこれほど悩んだことはない。 イメージに合う香水をそれぞれ買い与えるだけの行為は愛があるわけではないし、社交辞令のようなものだ。 だから、きっと店主も気付いてはいるだろう。 これを与える人物が俺にとって『特別』であるということは。
「どうにも似合うものが見つからなくてな。こんなことは初めてだ」
「イメージを、お聞きしても?」
「太陽を月へ」
 簡潔にそれだけを告げると、店主は朗らかに笑った。
「それはまた、大胆なことをなさいますな」
「やはりそう思うか?」
「えぇ。ハイビスカスを月下美人に変える、というところでしょう」
「なるほど」
「強い香りのハイビス、ほのかに香る月下。ともに魅力的ではありますが、真逆の色気ですからな」
「難しいか?」
「私を誰だとお思いですか?」
 老店主は笑みを崩さずにVIPルームのカウンター棚の奥から1本のクリスタルグラスを持ってきた。 中身は琥珀の液体。 それがクリスタルのプリズムに合わせて淡い光りを反射している。 店に並ぶどの香水とも違う雰囲気のグラスだ。
「これは?」
「そうですね、【 Moonlight 】とでも」
 まさに【 月光 】か。
「どうぞ、お試しを」
 一吹きされた試し用の紙を手渡されて鼻先に近付ける。 スンと嗅いでみれば、ほのかに香った百合の花のような香りが鼻を擽った。 まさか、本当に?
「月下美人、か!?」
「さすがでございますね。月下美人から抽出した香りだけでは弱いので、他の近い成分の花から殺さない程度の強めの香りを足して精製したものです」
「オリジナルだろう?これは」
「えぇ。長年研究したものです」
「そんなものを、出してしまっていいのか?」
「香水は、誰かに付けられて初めて香水となるものです。棚にしまわれた物はただの液体にすぎません」
 どうぞお持ちください、といわれてルキーノは呆然とする。 職人気質のなせる業だろう。 よくよく見てみれば、このグラスを取り出した辺りには形の違うクリスタルが何本も置いてあるようだ。 すべてこの店主のオリジナルであろう。 そんな貴重なものを簡単に差し出してしまうのも、香水として使われることが至上の喜びだと告げているのだ。 やはり、プロは違う。
「店主、もう1つ注文を」
「イメージを」
「野良犬が血統書付きへ」
 それを聞いて店主は目を見張った。 たぶん、誰のことを言ったのか気付いたのだろう。
 以前、ジャンをこの店へ連れてきたことがある。 その際にジャンは「野良犬の鼻が仕事放棄したらどうしてくれるの?」と言っていた。 香水など普段付けることのなかったジャンにとっては、店内に充満する様々な香りに辟易しての台詞だったのだろう。 だがそれを店主が聞き逃していないことに俺は気付いていた。 その台詞だけで、店主はジャンが噂のラッキードッグだと気付いていたと確信している。 そして俺がジャンを連れている理由も。 それだけこの店主はデイバンに通じている人物だ。
「それはまた、難しい注文ですな」
「どうだ?」
「その挑戦、受けて立ちましょう」
 これを挑戦と取るのか。 先ほどの棚から今度は青いクリスタルグラスを持ってきた店主は、試し用の紙に吹き付けて差し出してくる。 今度はいったいどんな香りだ?
「…………ふっ……く……くくっ」
 俺は笑わずにはいられなかった。
「お気に召しましたか?」
「あぁ、最高だ!!!!」
 青いクリスタルグラスの香水、それは。
「まさか、石鹸の香りとはな!!!!」
 そう、まるで風呂上りの香りそのものだった。 たしかに、『野良犬』が『血統書付き』になるなら石鹸のような清潔そうな香りが似合うだろう。 それにあの金髪に石鹸の香りだ、まるで天使のような清潔感に誰もが魅了されるに決まっている。 まぁ、コーサ・ノストラとしてはかけ離れたイメージだが、そこはジャンの魅力としてあまり気にならなくなるだろう。 それも個性として捉えることもできる。
「名は?」
「そうですね、そのまま【 Blue soap bubbles 】でいかがですか?」
「【 青いシャボン玉 】か。さすがだな」
 これをつけたジャンを想像して、なんとも子供っぽいネーミングだがぴったりだと思い笑みが零れる。
「店主、この2本をもう1本ずつ精製を頼めるか?」
「お任せを」
「代金は俺に宛てろ。金額はいくらつけてもかまわん」
「かしこまりました」
 朗らかな笑みの中にある職人としての確かな顔を、そこに見た気がした。





END


アトガキ

 ジャンがいなーい。 香水の話を書くならジャン=犬、の嗅覚にはキツイだろうというイメージで登場させませんでした(笑) え?続き?あるのかなぁ……( ゚3゚)〜♪
 ハイビスカスの香り?月下美人の香り?そんなん知りません(きっぱり)でも月下美人は仄かのイメージがある。 でもきっとけっこう香り強いような気もする。けどイメージだから、イメージ。うん。 本当はもっと複雑にいろんな香料が必要になるんだったような。けどまぁいいや。
 実際ジャンが香水をつけるなら、お相手によってタイプが変わる気がします。 ルキーノ相手ならシトラス系? ベルナルド相手ならフローラル系? ジュリオ相手ならウッディ系? イヴァン相手ならオリエンタル系? なんかこう……ムスクとかにはならなそうな感じです。でもイタリア系なら香水にはこだわるんだろうなぁとか思ってます。
2009/08/16